人気ブログランキング | 話題のタグを見る

■ オシャラク島


■ オシャラク島_a0115014_731145.jpg

 鍬ヶ崎の、オシャラクにまつわる話。
 オシャラクは芸者や遊女のことだ。
 港町の鍬ヶ崎は、オシャラクの町としても、日本じゅうに知られていた。

 江戸時代のことだった。
 大島と小島がぽっかり浮かぶ山田湾。
 その美しい湾内に、三本マストの大きな帆船が一艘はいってきた。
 どうも異国の船らしい。
 大島のそばに異国船は錨(いかり)をおろす。
 代官所の役人たちが、サッパと呼ばれる小舟に乗って近づいた。
 すると突然、耳が割れるような轟音がとどろく。
 人びとは仰天した。
 それは、異国船がはなった、歓迎の号砲だった。
 大砲を備えていたのだ。
 役人たちは、おっかなびっくり船にはいあがる。
 どうにか通じたことには、船はオランダの商船で、ブレスケンス号だという。
 嵐に流され、食料や水を求めて山田湾に入ってきたらしい。
 役人は、求めに応じて、食料や水の補給を許した。
 いっぽうで藩に知らせた。
 使者にたったのは与左衛門。
 山田から盛岡まで三十二里ある。
 それを、一昼夜で走りぬいた。
 藩主からごほうびに、「はやぶさ一昼夜」の異名をもらった。
 盛岡藩は早馬を飛ばして幕府の指示をあおいだ。
 幕府は乗組員をつかまえるように命じた。
 さて、どうやって、つかまえよう?
 代官は名案を思いつく。
 鍬ヶ崎の遊郭から、オシャラクを何人も呼び寄せる。
 そうして、ブレスケンス号の船長たちを小島に招く。
 歓迎のうたげを開くと言って――
 ボートで小島にやってきた船長たちは、きれいなべべ着たオシャラクの歌や踊りに大よろこび。
 長い危険な航海の果て。
 嵐にあったすえにたどりついた美しい土地。
 かてて加えて、あでやかなオシャラクたち。
 異国の船乗りたちには天国にみえたかもしれない。
 つい酒に酔っぱらってしまう。
 その油断をみすまして、役人たちは縄をかけた。
 なんだか様子がおかしい――
 異変に気づいた異国船ブレスケンス号は、湾の外へたち去った。
 江戸へ送られ、取り調べをうけた船長たちは、やがてオランダへ帰ることが許された。
 それから大島は、オランダ島と呼ばれるようになる。
 鍬ヶ崎のオシャラクが異国の船長たちをもてなした小島は、女郎島と呼ばれた。
 女郎島では語感が悪かったのか、いまではあまり聞かなくなった。
 オシャラクがもてなした島だから、そのままオシャラク島と呼んだほうが、まだよかったかもしれない。


                 宮古 on web
by miyako_monogatari | 2009-02-13 21:38
<< ■ 寄生木 (やどりぎ) ■ C58283号の悲劇 >>