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■ 鮭の又兵衛さん


■ 鮭の又兵衛さん_a0115014_212953.jpg

 昔(むがす)むがす、まだ盛岡さ、南部の殿さまが、おったぁ時
代の、こったあ。
 海がら、ヤマセ(山背)が毎日毎日やってきて、それはそれは寒
(さん)びい夏だった。
 ヤマセっつうのは、冷たくて濃い、海の霧(きり)のことだ。
 田んぼさ米が、でぎねえ。
 畑さも野菜が、なんねえ。
 ケガヅ(飢渇)っつうて、食べるものがなくて、人が、いっぺえ
死んでった。
 そんなときでも、津軽石川(つがるいしがわ)には、鮭(さげ)
っこが、いっぺえ、のぼってきた。
 のんのんずいずいど、のぼってきた。
 だどもす、津軽石川の鮭っこは、勝手にとることは、でぎねえ。
 川のながさ、鮭留めっつう木の柵(さく)が、つぐられでる。
 海がら、自分の生まれた川さ、もどってきた鮭っこは、ほとんど
が留めから先へ行げながった。
 鮭っこも留めも、盛岡の殿さまの、ものだったのす。
 留めを、どうにかすりぬけて、上流さのぼった、ぺえんこな鮭っ
こ。
 それだけを、村の人がどうは、とることが許されでだった。
 ところがす、そのケガヅの年のことだ。
 藩の役人がどうは、鮭っこが留めを越えで行がれねえようにして
しまった。
「おらがどうには、死ねっつうのが」
 村の人がどうは、川原さ集まって、大騒ぎになった。
 ひとりの、おさむらいさんがやってきたのは、そんなときだった。
 このへんでは、だれも見だごどもねえ、おさむらいさんだった。
 おさむらいさんは、後藤又兵衛と名のったった。
「この川も、鮭も、村の衆のものだ」
 そう言うと、村びとが手をだせなかった鮭留めの木を、ひっこぬ
いだ。
 柵をあげで、鮭っこが自由に、のぼってげるようにした。
 宮古の代官所の役人は、又兵衛さんを捕まえた。
 そうして盛岡の殿さまさ、事のしだいを告げでやったぁのす。
 殿さまの命令は、むごいもんだった。
 又兵衛さんを、逆さ吊りにして、張りつけにせえっつうもんだっ
た。
 代官が又兵衛さんに聞いだ。
「死ぬまえに、なにか望みはあるか?」
 又兵衛さんは答えた。
「もういちどだけ、津軽石の川を見たい」
 又兵衛さんの願いは、かなえられた。
 霜月(しもつき)十一月も末の、寒びい朝まのことだった。
 又兵衛さんは、津軽石の川原さ、つれでこられた。
 それがら、逆さに張りつけにされで、殺されで、穴っこさ埋めら
れで――
 あとになってからの、こったあ。
 村の人がどうは、役人どもさ知られねえように、又兵衛さんを掘
りだした。
 お稲荷(いなり)さまの境内(けいだい)さ、埋めなおしたのす。
 そうして、五輪の塔を目印にたでで、ねんごろに、おとむらいを
したぁのす。
 又兵衛さんは、鮭っこの、守(まぶ)り神になった。
 津軽石の川原さは、毎年、命日になっと、又兵衛さんをかたどっ
た人形が、たでられるようになったぁのす。

■ 鮭の又兵衛さん_a0115014_3261845.jpg

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by miyako_monogatari | 2009-01-29 01:52
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