■ 寄生木 (やどりぎ)


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 山口村が宮古町と合併するまえの話だ。

 小笠原喜代助という村長が山口にいた。
 小笠原村長は、村の金をつかいこんだとして村びとに訴えられる。
 6年間、未決囚として監獄につながれる。
 ついに無罪をかちとって放免になる。
 無罪になったとはいえ、6年のあいだ、本人の苦労はもちろん、家族も大きな負担をしいられた。

 この山口村の小笠原村長に、善平という次男がいた。
 善平は、未決囚の父が盛岡から仙台の監獄に移されたとき、家出をして仙台へ行く。
 父を見舞い、諭されて、いったんは帰ることになった。

 そのころ仙台にあった陸軍の第二師団に、乃木将軍がいた。
 本営のとなりが小笠原善平の父の入っていた未決監だった。
 善平は将軍の書生にしてもらいたいと思った。
 寄らば大樹の陰だ。
 乃木将軍を訪ねた。

 善平の無謀な望みが、ふしぎと叶った。
 小笠原という同姓の中佐が後見人になる。
 乃木将軍が台湾総督になると、善平も将軍について台湾に渡る。
 帰国して陸軍中央幼年学校に3番の好成績で入学する。
 後見人の小笠原中佐は善平を、娘の勝子のいいなづけにした。

 ところが、陸軍幼年学校での善平の成績は落ちて、劣等生になった。
 すると、勝子との縁談もうやむやになってしまう。
 どうにか卒業した善平は、北海道・旭川の第七師団に配属される。

 その後、士官学校を卒業。
 おりしも日露戦争が勃発し、乃木将軍が第三軍司令官として旅順に出征する。
 少尉に昇進した善平も出征し、勲功をたてる。
 凱旋して中尉になり、勲章をもらう。
 陸軍大学校に入ったら結婚する約束を勝子と交わし、小笠原中佐もこれを黙認する。
 善平の人生は軌道にのったかに見えた。

 またしても善平の行く手に暗雲がたれこめる。
 旭川配属中に善平は不治の病にとりつかれ、体は少しずつむしばまれていた。
 結核である。
 陸軍大学校の予備試験には合格した。
 にもかかわらず、軍務日数の不足や若さを理由に順番待ちとなり、入学が延期される。
 縁談は、ふたたびこじれる。
 勝子との文通は続いた。

 この間、善平は、ふるさと山口村、村長だった父や生家、自分、乃木将軍、勝子とのことなどを、手帳に書きつづっていた。
 手帳は何十冊にもなった。
 タイトルは「寄生木(やどりぎ)」――
 寄生木は、乃木将軍の庇護を受けた境遇を象徴するものだった。
 それを、小説「不如帰(ほととぎす)」の作家として人気の高かった徳冨蘆花に見せた。
 蘆花は、乃木将軍とおなじように、善平にとって大樹となる。

 善平の病が重くなった。
 静養のために、山口村に身を寄せた。
 陸軍から退くことを決意した。
 書き終えた「寄生木」をすべて蘆花に託した。
 そしてある日、ピストル自殺をとげる。
 数えで28歳の若さだった。

 小笠原善平は山口村の慈眼寺に葬られた。
 乃木将軍が墓碑を書いた。
 徳冨蘆花が墓参に訪れた。
 そして蘆花は善平に託された手記を整理し、「小説 寄生木」として世に送りだす。
 1100ページにもおよぶ分厚い本は大ヒットになった。

 若き軍人の数奇なる生涯――
 「小説 寄生木」にサブタイトルをつけるとすれば、そうとでもなるだろうか。
  知られることのなかった東北の風土記
  人気者の乃木将軍の素顔を描いた実録もの
  大国ロシアを破った日露戦争もの
  病に倒れて自ら命を絶った軍人の悲恋物語
 受けとり方はさまざまでも、それだけ内容に厚みをもった「寄生木」は、人びとに広く受けいれられた。
 何十版となく増刷に増刷を重ねた。
 第2次大戦後には岩波文庫におさめられた。
 単行本の初版が刊行されたのは、1909年(明治42)12月8日のこと。
 いまからちょうど100年前だった。


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by miyako_monogatari | 2009-02-14 21:35
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