■ 川井の巨漢


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 幕末のことだ。
 川井のお堂に容貌魁偉の大男が寝ていた。
 村びとは強盗か山賊かと怪しみ恐れた。
 沢田長左衛門という旦那が、この大男を家に連れこんだ。
 よく漢詩を書く。
 一升も大酒を飲んで大の字に寝る。
 名まえや生まれを尋ねても笑って言わない。
 「こんな無頼漢を」
 と家の女たちは眉をひそめた。
 沢田は、ひとかどの人物とみて、ねんごろに扱った。
 ひと月あまりたった。
 「世話になった」
 そう言って出てゆこうとする。
 沢田は正体を明かしてくれるよう頼んだ。
 すると、
 「わしが書いたものを江戸へ持っていったら、知るものもあろう。
 いつか、わしが何ものかを知るときもあろう」
 それだけ答えて大男は飄然と遠野のほうへ歩み去った。
 「あれは南洲だったろう」
 だれ言うとなく、そんな噂が広まったころ、南洲こと西郷隆盛はすでに死んでいた。
 その後、西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)が盛岡に来た。
 沢田は会って昔の一事を話し、その書いたものを見せた。
 従道は言った。
 「たしかに兄の筆跡だ」
 何年前のことかを聞いて、
 「ちょうど兄が大島を逃れて行方不明になっていたころだ」
 と言い、
 「兄が世話になった」
 と挨拶した。
 沢田の家では、この筆跡を大切にし、長左衛門が上京すると従道が手厚くもてなしたという。

 この話は小笠原善平「寄生木(やどりぎ)」にも小島俊一「陸中海岸風土記」にも出てくる。
 それぞれ「岩手日報」記事と「南洲川井来遊記」をもとにしている。
 ここではとりまぜて紹介した。
 西郷隆盛は薩摩藩の下級武士だった。
 藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまって側近に抜擢された。
 斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。
 このとき、行方をくらましたことがあったらしい。
 復帰して維新で大役を果たした。
 その後、ふるさと鹿児島に帰って西南戦争を起こし、城山で自刃。
 一代の英雄として伝説も多い。
 鹿児島で死なず、悠々自適に生きているという噂も、根強く残っていた。


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by miyako_monogatari | 2009-02-11 09:15
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